漢語は字で書いて説明してくれ
タイトル通りです。
日本語のインターネット村における
「俺が理解できないから悪い文章」「本当に頭のいい人は馬鹿でもわかる説明をしてくれる」
に対する
「いやお前の理解力が足りないだけ」
という叩きはもはや様式美に成りつつあるが、これは何度も繰り返して読むことができる、文字によるコミュニケーションだからこそ成立するものである。
現実の世界でおこなわれる会話ではこうはいかない。理解できないのは話し手側が悪い場合が圧倒的に多い(と思う)。
瞬間瞬間で消えていき、戻ることができない「声」という媒体。
使用する方言や滑舌。
そして一番やっかいなのは「同音異義語が多すぎる」という日本語特有の問題だ。
以下、少し遠回りして日本語の成り立ち。
日本人が文字を使い始めたのはいつ頃か、明確な事はわからない。
古事記に「天武天皇は稗田阿禮に『帝記』・『旧辞』を暗誦させて成文化した」と書かれていることから、この時代の以前には文字に書くよりも暗唱によって語り伝える事が一般的だったと想像することができる。
その文字とは当然、漢字のことで、そもそも漢字渡来以前の日本には日本語はあっても日本字というものはなかった。
では、漢字渡来以前の日本語はどのようなものだったのか?日本人はいったい何を考えていたのだろうか?
文献が残ってない以上、それをたしかめる術はない。
漢字渡来以前の日本語をポジティヴに語ることは誰にもできない。
が、残っている文献から、それをネガティヴに語ることは不可能ではない。
例えば、古事記に残る日本最古の歌、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが、妻のクシナダヒメとともに、出雲の地に新宮を造った折に詠まれた歌をみると、本来の日本語はかなりボキャ貧であったろうという想像ができる。
夜久毛多津 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曽能夜幣賀岐袁
(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を)
考えてみれば当然の話で、そもそも中華に匹敵する文明が日本にあれば、古代の日本人達は、遣隋使(遣唐使)を派遣したり、中華皇帝に朝貢して金印を貰ったり、あるいは日本古来の信仰と対立する仏教を移入させたりといった政策をおこなう必要がないのだ。
日本に日本字は無かったが、同様に文字を使って表現するべき文物や概念にも乏しかったと考えられる。
漢字の移入によって日本語は劇的に変化した。
ただ単に日本語を書き取る術を得たというだけでなく、漢字の持つ膨大な語彙の宇宙によって、日本は「文明化」を達成しえたといっても過言ではない。
この特殊な成り立ちによって生まれた日本語は、発音数と文字数の数の乖離が大きい。よく50音など言われるが、濁音、半濁音、拗音、その他発音上のみ区別する音を入れて112音(金田一春彦説)と言われている。
対して、現在使用されている漢字は、常用漢字だけで2136字。当然の帰結だが、日本語は同音(同訓)異義語が異常に多い言語なのだ。
耳慣れないカタカナ語を使うと「カタカナ使うな!日本語喋れ!」とキレられるが、
漢語を使って「日本語喋れ!」と怒られることはまずない。それ程までに漢語は日本語の中に馴染んでいる。
一方で、漢語が本来の日本語にとって異物であるというのも明確な事実である。
こういう事実を知っていれば、難しい熟語、普段使わない専門用語、目で見たことはあっても耳慣れない単語は字で書く、という配慮は日本語話者にとって必須のものであると思う。
こういうコミュニケーションのすれ違いは、聞き返せない一方的な講義に特に多い。
教育者が日本語の特性も知らないなんてのは悲しいし尊敬できなくなるから勘弁してくれ。
お前の後ろの黒板は何のためにあるんだ。
前のブログはイキリ散らしてて恥ずかしいから消して記事ごと書き直しました。